◇作家紹介

澤田 政廣(本名 寅吉)   1894〜1988
 1894年、静岡県熱海市に生まれる。木彫家・高村光雲の高弟、山本瑞雲に師事。1921年、第3回帝展に「人魚」初入選。1962年、日本芸術院会員。1970年、宗教法人霊友会本尊「釈迦如来像」制作(高さ7.58m)。1973年、文化功労者。1977年、八戸市是川遺跡・風張遺跡訪問、出土品に感動。1979年、文化勲章を受章。1981年、奈良薬師寺西塔の尊像佛4体を制作。同年、八戸市是川遺跡・風張遺跡訪問(2回目)、1987年、八戸市美術館において「澤田政廣展、芸術にロマンを求めて」を開催。澤田政廣展終了後、「東北の都」「考古之地」の2点を揮ごう。同年、「熱海市立澤田政廣記念館」開館。1988年、死去。
 彫刻、絵画、書、陶芸の作品を展示いたします。

作家の言葉 〜心の鏡を磨く〜
 私は常にこんなことを考えているのです。“芸術というものは、作家自身の心に映ったものを、それぞれの感性のおもむくままに、各自が努力して作品上にあらわすものである”とね。
ですから、当然心の鏡というものは、いつも綺麗に磨き上げておく必要がある。鏡そのものが曇っていちゃあ、真実が写らない。    
(芸術の心を射抜く矢 彫刻家の言葉)

松村 健三郎          1901〜1992
 1901年福島市に生まれる。1923年、東京美術学校(現在の東京芸術大学)図案科主席入学。1923年、光風会奨励賞第一席で受賞。同年、東京美術学校を肋膜炎のため中途退学。1929年、日動画廊創設者の長谷川仁は健三郎の作品を持して絵の行商を始め、これが日動画廊創設の基となる。1947年、「造型寸言」を西田明史・椹沢伸行・関保寿(頑亭)彫刻3人展に寄稿。1958年、堀田清治と共に公募美術団体「新槐樹社」を結成、創立委員。1973年、出品作「水に沿う白い光」代表作(本宿小学校下の小川)は日動画廊より、ボストン美術館からの作品購入を所望されるも辞退。1987年、新槐樹社代表。1992年、死去。
 澤田政廣、関頑亭と親交が深かった洋画家。生涯、芸術の道を究め続けたと言われる孤高の作家。
 絵画、書の作品を展示いたします。

作家のことば 〜造形寸言〜
 わたくし達の生活の内外にあふれる一切の事柄は絶えず流転し変遷してしかも一貫をしてゐる 彫刻とはそれに對する個我の最善の感動が無常の厳密さの下に造形された美の事実である
わたくし達は不断の仕事への献身によってのみ零細な向上の蓄積は約束され 人為を超えた高度の次元も創造の光も総てがその中に実在する 確信を持って久遠の生命に生きぬかなくてはならない
(註 神通乗〜ノートより・松村健三郎 遺稿集)

関 頑亭(本名 保寿)    1919〜2020
 1919年、東京都国立市に生まれる。1933年、彫刻家・澤田政廣に師事。1940年、満州にて普蔭法師に師事。1955年、中野宝仙寺富田教純師に密教の伝法を受ける。1958年、宝仙寺山門仁王尊像制作。小金井寺子屋観音堂制作。1961年、府中市高安寺仁王尊像制作。1967年宝仙寺三重塔制作。選抜展二回出品。1971年、南紀長島に弘法大師御堂制作。1976年、姫路亀山本徳寺―旧新撰組本願寺屯所桜の間障壁画制作。
 その他、山口瞳著作「なんじゃもんじゃ」(文芸春秋刊)他の挿絵を執筆。1988年、宝仙寺弘法大師丈六脱活乾漆像制作に着手。1992年、弘法大師像完成。1996年、「人生瓢々と。」頑亭が行く(講談社刊)著。1997年、青森県八戸市株式会社コサカ技研シンボル像・定印・脱活乾漆像制作。2000年、「不良老人のススメ」(講談社)著。2001年、パリにて個展。2002年、八戸市美術館で「縄文の美と関頑亭の世界」を開催。2004年、菅原道真公五歳の像・谷保天満宮に奉納。2010年までの10年間、洗心美術館開館を指導。2020年、死去。
彫刻(脱活乾漆)、絵画、書、陶芸の作品を展示いたします。

作家のことば 〜ぼくの芸術は“素”をめざします〜
 “素”ですから、それは色が無い。水晶のように透明度があって輝いている世界です。そういう世界は、言葉ではなかなかわかりにくい。だからぼくは縄文が好きなのです。
縄文時代に生きていた人が好きなのですね。化粧っ気がなく、香水もふりかけず、生き生きとして美しい。命そのもののたくましさの中に美しさがある。
 なんでそんなことがわかるのだといえば、当時の人たちが残してくれた土器や石器をみるんです。縄文人の作った土器や石器は、見せるために作ったものではありません。でも、そこにはまぎれもなく自分の境涯というものが自然に出ている。それは誕生する美なのです。

(人生瓢々と。頑亭が行く・関頑亭 著)

佐藤 静司           1915〜2021
 1915年、福島県郡山市に生まれる。1931年、木彫家・三木宗策に師事。1936年、第一回改組帝展で「獺」初入選。1939年、郡山市妙宝寺に「持国天」を制作。1940年、正統木彫家協会の会員になる。1945年 三木宗策、死去。1947年、彫刻家・澤田政廣に師事。1965年、日展会員になる。1978年、第十回日展にて文部大臣賞受賞。1981年、尾山台傅乗寺に「四天王」を制作。1991年、県外在住功労者福島県知事賞受賞。1995年、尾山台傅乗寺に「釋迦如来」を制作。1997年、勲四等瑞宝章を受章。2007年、郡山市立美術館にて、「佐藤静司 彫刻展」2011年、洗心美術館で個展開催。2021年、死去。
彫刻を展示いたします。

作家のことば 〜僧について〜
 ある時、渋谷や銀座で托鉢する禅宗や真言宗の若い修行僧の姿に感動をおぼえ、造り始めました
(二〇一〇年十一月 手紙)

島崎 樹夫           1938〜2001
 1938年、岐阜県木曽馬籠に島崎藤村の長男・楠雄の三男として生まれる。1961年、武蔵野美術学校西洋画科卒業。銀座イエナ画廊にて卒業記念展。桑沢デザイン研究所に学び、その後、本の装幀・雑誌の挿し絵等を多く手掛ける。1972年、吉祥寺で個展開催後、銀座・日本橋他個展多数。1975年、写実画壇展出品後、毎年出品。1986年、アトリエ木舎開設。1996年、郷里・木曽馬籠で個展。中国・欧州(フランス、スペイン等)・香港・シンガポール他外遊多数。2001年、死去。
 関頑亭と親交があった洋画家。
 絵画を展示いたします。

作家のことば
 「何を描きたいのか、その欲求がどれほど切実にその人間の内部にねざしているのかだけが重要だ。」創作の普遍性の鍵は、ここにありそうだ。人は人、自れは自れ、己の一番描きたいものを素直に表出する。それしか人に響かないだろうし、感動も呼ばない。
 人まねでない、その人にしか創れない詩、絵をかくべきだろう。己自身の欲求につき動かされて、初めて創作は生まれる。
(1983年6月1日「入院日誌 その他 より」)

今城 國忠           1916〜2000
 1916年広島県芦品郡府中町(現在の府中市)に生まれる。1936年、彫刻家・澤田政廣に師事。1940年、新文展「守ル者」を出品、初入選。1956年、第4回日彫展にて「頭部」奨励賞受賞。1957年、第5回日彫展にて「母子像」奨励賞受賞。1960年、広島県福山市天満屋にて個展開催。1963年、第6回新日展にて「ふたり」特選受賞。1964年、第7回新日展にて「女二人」特選受賞。1966年、第9回新日展審査員。1967年、日展会員。1971年、第3回改組日展審査員。1978年、第10回改組日展審査員。1980年、日展評議員。1984年、第16回改組日展審査員係主任。同年、第16回改組日展「潮騒」文化庁買上げ。1988年、第18回日彫展「雪の朝」で西望賞。1990年、第22回改組日展審査員係主任。2000年、死去。
 彫刻を展示いたします。

作家のことば
 澤田政廣先生は常々、「わが国には木彫として世界に誇れる伝統がある。それは仏像であり、また能面である。そうした優れた作品の前に立って問いかけるのだ。答えてくれるまで問いかければ、必ず何かを教えてくれる。そのとき、自分の言葉で綴れる詩が生まれる。それを作品にするのだ」と仰っておられた。こうした先生のお話は深く私の心のうちに刻まれた。
(1994年7月 今城國忠作品集 上京―澤田政廣の許へより)

名嘉地 千鶴子         1925〜2022
 1925年佐賀県に生まれ、満州に移住。10歳から油絵を始める。1943年、満州国国展初入選。1949年中央美術研究所で油絵を研究、石彫を始める。1954年、第2回日彫刻展初入選。1959年、第2回日展石彫「女の首」入選。1960年彫刻家・澤田政廣に師事し、木彫の研究を始める。1962年、常滑市陶芸研究所にて陶芸の研究を始める。1965年、第13回日彫展木彫「大安寺の顔」努力賞受賞。第42回春陽展・第33回版画展・第1回オークション展銅版画作品入選。1966年、第14回日彫展石彫「女」努力賞受賞。1977年、第9回日展木彫「睦家の肖像」特選受賞。1978年、第10回日展木彫「睦家の朝」特選受賞。1995年、青森県八戸市株式会社コサカ技研にブロンズ「若い季節」設置。1996年、第26回日彫展ブロンズ「追憶の風がふく」西望賞受賞。1997年、八戸市立市民病院にブロンズ「レマン湖の友」設置。1998年、八戸市庁舎別館にブロンズ「希望」設置。2008年、茂原市立美術館・郷土資料館で「彫刻家 名嘉地千鶴子−愛の作品展−」開催。2022 年、死去。
 陶彫を展示いたします。

作家のことば
「私は、制作に臨んで、いつも対象とする素材と語り合い、心の声をきいて制作しています。」
(「名嘉地六郎(マネージャー)へ語る」)

澤田政廣の世界 洗心美術館